キラキラ女子になりたかった

学生の頃は、スクールカーストの中の下くらいにいた。
文化部で、そこそこ真面目で、部長とかもやって、孤立しがちな子には声をかけて。
いい子でいることが苦にならなくて、先生に誉められることが好きな子どもだった。
でも、大人の目を気にせず自由な振る舞いをして、それでも先生に可愛がられる子たちが羨ましかった。
華奢で可愛くて、許されている子たち。
そういう子たちが大人になって、キラキラ女子になっているんだろうと思う。
彼女たちは、恐らくとても努力をしていた。
気づいたのは大人になってからだった。
もう今更努力をしても間に合わない。
とても追い付けない。
そう気がついた時に、私はとても絶望したし、今でも絶望している。
その絶望を言い訳に怠惰な日々を重ねることに、罪悪感を抱きながら生きている。
そう思うなら心を入れ換えればいい、努力をすればいい、なんて正論は、私には受け止められない。
絶望するって、そういうことじゃないんだろうか。
可愛くなりたい。愛されたい。でも努力はしたくない。
そんな本音を、私は今日も見て見ぬふりをする。